漫画家を目指した学生時代

漫画家を目指した学生時代

最初のきっかけは、小学校3年生の頃だと思います。

小林君という同級生がいて彼がマンガを書いていたのを見て面白そうだと思い、真似して書きはじめたのが最初でした。

 

漫画と言えば「ギャグマンガ」

彼は結局4年生だったか5年生だったか、転校してしまいました。

そして、クラスで「漫画」といえば僕の代名詞となりました。

小学生の頃からギャグマンガを描いていまして。

なにしろ読んだことのあるマンガが「ドラえもん」くらいしかないので、マンガとはこういうものだと思っていた。

最初の頃は、ヒーロー物の「○○マン」とか言うタイトルで、格好悪いヒーローを主人公にしたマンガを描いていた。

でも、少しだけ絵がうまくなってくると、クラスのみんなの似顔絵でキャラを作ってマンガを描くようになった。

 

弟に与えた悪影響

僕が小学生のころ、小林君という少し変わった友達の影響でマンガを描くようになった。

怒られたりして泣いてスネると、体操座りをして岩のように固まり、頑として動かないという得意技を持っていたのです。苦笑

それはさておき、

今度は、僕の影響でマンガを描くようになった人もたくさん増えたのです。

同じクラスメイトだけでなく、僕の弟もそうでした。

弟も小学生の頃から僕の真似をしてマンガを描くようになったのです。

両親に「お兄さんの真似してマンガなんか描くようになっちゃって。怒」なんて言われてましたね。

でも、なんと今は、中学校で美術の先生をしていますからね。

なんだよ、真似してよかったじゃないか!苦笑

 

放送作家という選択肢

大学に入学して2年生か3年生くらいだと思う。

せっかく東京に近い首都圏の大学に入ったんだから、もっとクリエイティブなことをしたいと思ったのです。

大学のサークルにもたくさん入ったけど、趣味の範疇で次の一歩(プロ)を考えているような本気のクリエイティブサークルはなかった。

なので自分が中心になってサークルを立ち上げたりしていろいろ活動をしたのです。

今は亡き「ドロンズ」の石本と大島も、そのサークルにいました。苦笑

彼らは芸人志望だったけど、ぼくは作家になりたかった。

同じ物書きなので「放送作家」もいいなと思ったのです。

だけど、どうやったら放送作家になれるのかよくわからなかったんですねー。苦笑

 

漫画家というわかりやすい選択肢

そんなとき、昔から描いてたマンガなら、各出版社ごとに「賞レース」があるよなー、と思いまして。

または、「出版社へ持ち込む」という方法もあるなと。

このシステムは非常にオープンでわかりやすいと思ったのです。

なので、放送作家などの活動と並行して、ちょっとだけ本気で漫画を描いてみようと思ったんです。

ちなみに、いまでこそ、「鉄拳」みたいに絵を描く芸人がいたけど、当時は皆無だったねー。

あのとき、放送作家として芸人と組んで、漫画としゃべりのネタを作ったらイケたんじゃないかなあ、なんて思う時もあります。笑

でも、なんとなく、マンガ家なら割と簡単になれると思ったんですよね。笑

この根拠のない自信はどこから来ていたのか不明ですが。。。